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2006年7月2日を表示

宮部みゆき著「理由」より。


我々は「媒体(メディア)」を通して現実を知る。
テレビでニュース番組やドキュメントを見ることによって、
新聞や雑誌を読むことによって、今この日本で、
世界で何が起こっているのかという情報をつかむのである。

肉眼で見ること、自分の足で歩いて見ること、自分の足で歩いて遭遇し、
手で触れて体験することなど、「媒体」がもたらしてくれる情報の量に比べたら、たかが知れているところの騒ぎではない。

働いたり遊んだり子供を育てたり病人の介護をしたり勉強したり、
自分の生活の中でそれなりに汗を流して暮らしているごく一般の人間の
行動範囲の中には、薬害エイズ訴訟も、大蔵官僚の不正行為も、
環境保護団体が綱を切って逃がしたイルカの群れも、
学校帰りの女子学生を待ち伏せして拉致する偽造ナンバーのヴァンも、
まず存在しないのだ。

しかし、それでも、ニュースとしてそれらの事象を知ることはできる。
知ればそれについて怒ったり、悲しんだり、心配したり、
自分にも何かできはしないかとか、
何かしなければならないとか考えたりすることはできる。

「報道」とはまさにそのために存在する機能なのだと、
「報道」に携わる人々は言うかもしれない。民をして知らしめよ。
ところが、現代のように「媒体」が発達し、普通の人々が普通に暮らして、
その一生のあいだに獲得することのできる情報の何十倍もの量の情報を、
テレビの前で三十分間座っていれば、
居ながらにして手に入れることのできるようになってきてしまうと、
厄介な問題がひとつ生まれてくる。

「現実」や「事実」とはいったい何なのだろうかという問題だ。
何が「リアリティ」で、何が「バーチャル・リアリティ」なのか。
両者を隔てる壁とは何か。
実際のところ、「実体験」と「伝聞による知識」のふたつを、
「インプットされる情報」という枠でくくってしまうならば、
現実と仮想現実のあいだに相違など無いと言ってしまうこともできるし、
事実そう言う向きもある。



7月2日(日)17:45 | トラックバック(0) | コメント(0) | 抜粋 | 管理


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